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前田智徳 引退 天才 [スポーツ]





前田智徳選手、お疲れ様でした!!

プロ野球広島の前田智徳外野手(42)が27日、広島市のマツダスタジアムで記者会見し、24年目の今季限りでの現役引退を表明した。「言葉は悪いが、やっと終わったかという感じ。重圧というか、そういうものから解放されてほっとしている」と話した。

 前田智外野手は1990年に熊本工高からドラフト4位で広島入り。走攻守三拍子そろったプレーを武器に主力に成長し、91年にセ・リーグ優勝に貢献した。95年の右アキレスけん断裂の大けがを経て2007年には通算2千安打を達成した。
近年は代打の切り札で活躍したが、今季は4月に死球で左手首を骨折し、戦列を離れていた。


前田智徳.jpg
熊本県玉名郡岱明町(現・玉名市)生まれ。1987年熊本工業高校に入学。2年時の春・夏、3年時の夏の計3回甲子園に出場。3年時の夏には主将・4番・中堅手として出場し、敗れた2回戦では最終打者(結果は三振)となった。1989年のドラフト4位で広島に入団。

プロ入り1年目のキャンプを訪れた野球関係者が前田の打撃を見て「これは将来凄い打者になる」と口を揃えた。当時広島の打撃コーチだった水谷実雄は、一発長打の魅力を持つ江藤と卓越した打撃技術を持つ前田に英才教育を施すべく、2人を競わせるよう猛特訓を課し、揃って主軸打者に成長させた。水谷の親友でオリックス二軍の監督をしていた福本豊は、ウエスタン・リーグで前田の打撃を目の当たりにし「なんでこんな選手が二軍におるんや!?」と驚愕したという。



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楽天 優勝 星野監督 [スポーツ]

おめでとう!!楽天初優勝!!
田中投手の記録が大きく貢献しました。


 ◇パ・リーグ 楽天4―3西武(2013年9月26日 西武D)

 初優勝を決めた楽天ナインは選手宿舎に戻って祝勝会。星野監督の「やったね」とのあいさつに続き、嶋の「1年間お疲れさまでした。魂込めて乾杯しましょう」の掛け声を合図にビールかけが始まった。選手は黒の優勝記念Tシャツと帽子を着用し、初めての体験に大声を上げて大はしゃぎ。用意されたビール5000本はあっという間に消えた。

 胴上げ投手となった田中は「日本ハムが勝ってるって聞いていたので、俺が行くしかないと思っていました」と最後の場面を振り返った。

 ゴーグルを着用しビールまみれになった嶋は「むちゃくちゃうれしい!本当やってきて良かった。星野監督にいろいろ怒られたけど、それでもここまでやってきて…。きょう一日ははっちゃけて、またあしたから頑張ります」。地元・東北に戻り、悲願の優勝に貢献したベテラン右腕の斎藤は「この味は一生忘れられない、世界一おいしいビールだね。東北の皆さん、一緒に盛り上がってください」と呼び掛けた。

 そんな選手たちの姿に、星野監督は「これだけ選手が喜んでくれれば、幸せですよ。胴上げ?ここの選手は初めてだからヘタだったね」と笑っていた。

〜スポニチアネックス

楽天 胴上げ.jpeg
楽天は、オリックスと近鉄の合併に端を発した球団再編問題が起きた2004年オフに、新しい球団として創設された。私も一度は、新チームの監督候補として声をかけていただき、三木谷オーナーとも直接、会談を持った。私の監督は幻に終わったが、少なからず縁のあった球団だけに、ずっと注目をしてきた。初代監督には田尾安志氏が就任。その初年度のシーズンは、97敗をして優勝したソフトバンクとは実に51.5ゲーム差をつけられた。その弱小チームが、野村克也氏、マーティー・ブラウン氏、星野仙一氏とバトンタッチする中で、試行錯誤を繰り返しながらも着実に成長をして創設9年目にして頂点に立った。






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石井一久 引退 西武 [スポーツ]

西武の石井投手、引退?!


東京学館浦安高等学校を経て1991年ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。

1992年はレギュラーシーズンでは未勝利の高卒新人だったが、日本シリーズで投げたという初の投手となった。初勝利は1993年に挙げた。1997年には猛追していた横浜ベイスターズ相手にノーヒットノーランを達成。1998年に最多奪三振、2000年には最優秀防御率と最多奪三振を受賞。また当時フジテレビのアナウンサーだった木佐彩子と結婚した。

2002年にはポスティングシステムでロサンゼルス・ドジャースに移籍。ピッチャーライナーを顔に受けて大怪我を負う不運もありながら3年間で36勝をあげている。2005年にニューヨーク・メッツにトレード移籍したが3勝に留まった。

2006年にヤクルトに復帰、2007年に日米通算1500奪三振を達成。オフにFA宣言し、埼玉西武ライオンズに移籍した。

2008年に3月29日に日米通算100勝を達成。

2010年5月19日の東京ヤクルト戦で9回136球を投げ抜き、勝利投手(試合は西武のサヨナラ勝ち)となり、9人目の「12球団勝利」となった。

2011年8月7日の福岡ソフトバンクホークス戦で通算2000奪三振を達成。

2012年は西武移籍初年度以来となる二桁勝利を達成し、ベテラン健在をアピールした。6月13日には自身初の無四球完封勝利を達成したものの、四球を出さなかったのが気持ち悪かったと述べている。2008年以来の二桁勝利を達成するが、それ以降は勝ち星が付かなかった。

2012年シーズン終了時点で、日米通算200勝まであと18勝。

日本プロ野球の三振奪取率の記録保持者。90年代は速球が魅力だったが、アメリカへ渡ってからは技巧派として数多くの変化球で三振を奪うようになった。

隔年投手の傾向がある。また制球が悪く、好不調の差が激しい



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松坂 メッツ 契約 [スポーツ]



いよいよ再始動!!

米CBSスポーツ(電子版)は22日、米大リーグのメッツが
松坂大輔投手(32)との契約に合意したと報じた。
大リーグ契約を結ぶ見込みだとしている。

 今季はメジャーでの登板がなく、3Aで19試合に先発して
5勝8敗、防御率3・92。大リーグ通算成績はレッドソックス
での6シーズンで、50勝37敗、防御率4・52。(共同)

青森県青森市生まれ[2]、東京都江東区育ち。
父は北海道稚内市出身で、母は青森県外ヶ浜町出身。
弟・松坂恭平は愛媛マンダリンパイレーツに所属していた野球選手。
妻は元日本テレビアナウンサーの柴田倫世。夫婦の間には2005年
12月に誕生した長女と、2008年3月に誕生した長男、
2010年3月に誕生した次女がいる。

「大輔」という名前は、1980年に大旋風を巻き起こした甲子園のアイドル、
早稲田実業の荒木大輔のように甲子園で活躍できるようにという家族の願い
からつけられたもの。

愛称は「マツポン」「マツ」「ダイスケ」、アメリカメディアでは「Dice-K」
「D-Mat」という愛称が使われている。
ボストンでは「Dice-K」が好まれる。
本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。

渡米後の代理人はスコット・ボラス。
「目標が、その日その日を支配する」を座右の銘にしているが、
これは横浜高校創立者黒土四郎が愛した詩[3]の一節である。
松坂大輔.jpg
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高校野球 速報 決勝 [スポーツ]




いよいよ、本日このあと12:00プレイボール!!

 第95回全国高校野球選手権大会第13日 
▽準決勝 延岡学園2─0花巻東(21日・甲子園) 
前橋育英(群馬)の2年生エース・高橋光成(こうな)が日大山形に1失点完投勝利。
初出場で決勝に進出。この日も自責0で、右腕は防御率0・00のまま初優勝に挑む。
延岡学園(宮崎)は、背番号1・横瀬貴広投手(3年)が公式戦初先発で完封。
こちらは宮崎勢初優勝を目指す。

「先発は合わないかも…」と不安を漏らしていた延岡学園・横瀬が、
終わってみれば公式戦初先発を散発3安打で完封勝利をマーク。

堂々とした投球に「次も先発でいきたい! 試合前の発言?それはそれ。気が変わりました」
とコメント。

 マウンド上ではテンポが速かった。

「打者に考えさせたくなかった。パッ、パッ、パッといきました」

と捕手・柳瀬直也から返球を受け取ると即、振りかぶる。
力強い直球と100キロを切るスローカーブを中心に緩急を付けて的を絞らせない。

準々決勝まで出塁率8割だった花巻東の2番・千葉翔太も柳瀬捕手の

「内外をしっかり使って内野ゴロを打たせよう」

との狙い通り、全てゴロで仕留めた。

 宿舎でも、お調子者ぶりは全開だが、野球でも切り替えはバッチリ。
この日朝に、重本浩司監督(31)から闘志が見られないと「0/3で代えるぞ」
とゲキを受けたなかで「多分、初めて」(横瀬)の完封劇。

「めったに褒めない監督に褒められた」と胸を張った。

 宮崎県勢で春夏通じて初優勝がかかる決勝の舞台へ。

「エースとして先発完投し優勝したい」と横瀬。威勢のいい口…ではなく、
左腕で頂点をつかみ取る。

 ◆横瀬 貴広(よこせ・たかひろ)1995年7月27日、宮崎生まれ。
18歳。小学3年から野球を始める。三股中から延岡学園に進み、2年夏からベンチ入り。
176センチ、80キロ。左投左打。家族は両親と弟2人。

〜記事引用、スポーツ報知

甲子園.jpg

*前橋育英
監 荒井 直樹
1高橋 光成 2 右右 188 82
2小川 駿輝 3 右右 173 83
3楠  裕貴 3 右左 181 67
4高橋 知也 3 右右 170 68
5荒井 海斗 3 右右 176 75
6土谷 恵介 3 右左 174 72
7田村 駿人 3 右右 175 73
8工藤 陽平 2 左左 169 66
9板垣 文哉 3 右右 165 65
10喜多川省吾 2 右右 176 71
11井古田大輔 3 右右 178 65
12竹内 良太 3 右右 177 68
13富田 恭輔 3 右左 183 87
14内田 祥司 3 右左 174 71
15板橋 達弥 3 左左 180 79
16小野 拓真 3 右左 174 64
17若松 徹也 3 右左 174 68
18須川 良紀 3 右右 177 75

*延岡学園
監 重本 浩司
1横瀬 貴広 3 左左 176 80
2柳瀬 直也 3 右右 172 74
3田中 祐樹 3 右左 168 66
4梶原 翔斗 3 右左 163 66
5渡会 晃大 2 右左 172 71
6松元 聖也 3 右左 177 70
7浜田晋太朗 3 右右 173 70
8坂元 亮伍 3 右右 170 75
9岩重 章仁 3 右右 183 83
10奈須 怜斗 3 右左 178 80
11井手 一郎 2 右左 178 76
12吉田 一貴 3 右右 168 71
13野崎 浩二 1 右左 177 78
14薄田  凌 2 右左 170 67
15石川泰士郎 2 右右 172 72
16岡田 友輝 1 右左 177 80
17岩佐 友一 2 右左 165 63
18原  辰徳 2 右左 172 75

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